日本クラシック界の「ドメスティックな専門家」vs「音楽ファン」?

たまたま見つけた次の記事がちょっと面白かった。

✏️「フジ子・ヘミング現象」の何が問題なのか?

2011年の古い記事だし、フジ子・ヘミングにはまったく興味がないし、全くの偶然で見つけたのだが…。面白いと思ったのは日本クラシック界における「ドメスティックな専門家」vs「音楽ファン」という対立構造の話。

この記事で言う「ドメスティックな専門家」というのは「国内演奏家+音楽教育者+音大生」で、「音楽ファン」というのは、国内の演奏家には見向きもせず「ベルリン・フィルやメットオペラの来日公演に一枚3万円とか6万円といったカネをはたく音楽ファン」のこと。

この両者は「犬猿の仲」らしいのだが、この記事によると「フジ子・ヘミング現象」についてだけは、この両者の意見が「全否定」ということで一致している、とのこと。

で、その理由について、ピアノ演奏のスタイルの話など色々書いてあるのだが、それもまぁ、どうでもいい話である…。


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面白いと思ったのは、私が日本のクラシック音楽界に対して何となく感じている不満を、「ドメスティックな専門家」と「音楽ファン」という2つの言葉でくっきりと切り出してくれたところである。

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定年退職後、ピアノを独学で始めて、いろんな曲をいろんなピアニストで聴いた。「お気に入り」ピアニストを探すこともやってみた。そして、ピアノ音楽のことを理解するため、練習方法のヒントを得るため、いろんな本やネットの情報を読み漁った。

そうした中で、「日本のクラシック音楽界」にはあまり期待できないと思うようになってきた。残念なことではあるが…。

ピアノコンクールで日本人を応援しようと思っていても、なかなか「お気に入り」のピアニストには遭遇しない。プロの日本人ピアニストを探してみても、ガッカリさせられることが多い。ピアノ奏法に関する本も、本格的なものはほとんど海外の本だ。

そういう状況に対して、「ドメスティックな専門家」という言葉が妙に「腑に落ちた」のである。日本国内だけの狭い世界で「活躍」している「専門家」たち…。世界に通用するレベルには、なかなか…。

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一方、コンサート情報を探したり、クラシック音楽を聴くヨーロッパ旅行(パッケージ・ツアー)を探したりしても、そのほとんどがオーケストラやオペラで、しかも「定番」プログラムが圧倒的に多い。

「3万円とか6万円」のチケットを買って「古典芸能」のような型にはまった巨匠や有名オーケストラの演奏を楽しむ「音楽ファン」(上記記事の定義)の存在というのが、これもまた「そうなんだよな〜」と納得してしまったわけだ。

ピアノ音楽ファンとしてグチを言わせてもらうと、ソコロフのピアノ・リサイタルを楽しむパッケージ・ツアーなどはないし、来日する海外ピアニストは限られている。日本にはまともなピアノ・フェスティバルさえない。

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ところで、上の記事を読んでいて、もう一つ「フジ子・ヘミングのファン」的なグループもあるんだろうと思ったのだが、これはどういう人たちなのかよく分からない。日本人の好きな「物語性」とか「浪花節」とかいうキーワードが含まれている気はするのだが…。

それと、もう一つ気になったこと。「ドメスティックな専門家」や「音楽ファン」でもなく、ましてや「フジ子・ヘミングのファン」などではない私は、どんなカテゴリに属するのだろうか?

一応「クラシックピアノ音楽ファン」のつもりなのだが、もしかすると「日本のクラシック音楽界」(ファンや生徒も含む広義の…)にさえ属さない「門外漢」なのか…(^^;)。







ピアノの「いい音」「いい演奏」再々…考?

最近、2つのピアノコンクール(モントリオール、ルービンシュタイン)の優勝者の演奏を聴いて、久しぶりにピアノの「いい音」「いい演奏」って何だろうと考えてしまった。

《モントリオール・コンクールの優勝はZoltán FEJÉRVÁRI ♪》
《ルービンシュタイン・コンクール、優勝はシモン・ネーリング》

これにはもう一つ伏線?みたいなものがあって、それはラフォルジュルネで聴いたフランソワ=フレデリック・ギィのベトソナ。音の塊がうねるような、ややペダルの多い音で音楽をドライヴしていくような演奏。

《LFJ:フランソワ=フレデリック・ギィのベトソナ ♪!?》

この記事に次のようなことを書いている。

「音符の一つ一つが見えずに『音楽』が前面に出てくる演奏と、逆に音符の一つ一つはしっかり弾けているのだが『音楽』が聴こえてこない演奏、みたいなとらえ方もあるかもしれないと思った。(一度考えてみたい…)」

…で、久しぶりにモヤモヤおじさん登場となった。

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実は1年以上前に似たようなことを考えて(感じて)いる。内田光子さんのディアベッリ変奏曲を聴いたときの感想だ。

《ピアノの音響の可能性「音の塊」♪》

この記事であれこれ書いているが、要するに、それまでの私の「いい音」「いい演奏」というのは「一つ一つの音がきれいな音でくっきり聴こえる演奏」であったのだが、内田光子さんの演奏でそれが覆された、ということ。

それは、「『音の塊(かたまり)』の存在感のようなもの。…細かい音の速いパッセージがまとまって『音の塊』のように響いてくる」演奏であった。

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「一音一音くっきり」と「音の塊」について、先に結論を言ってしまえば、これはどちらがいいか?という問題ではなく、両方あるというのが答えだと思う。

音楽を表現する手段・材料として「適材適所」?的に、表現したい音楽に対して、正しい表現方法としての「一音一音が際立ったクリアなフレーズ」もあれば「音の塊や音響」による表現もあるのだと思う。

くっきりした音にもクリスタルみたいなものもあれば、綿毛のような音もあるだろう。

音の塊には、強靭な響きもあれば靄(もや)のように空間に漂う音響もあるだろう。和音のように縦の響き(ヴォイシングやペダリングや倍音)もあれば、速いパッセージなどを微妙なペダリングで混ぜ合わせるような響きもあるだろう。

ベートーヴェンのダイナミックな響きも好きだが、ドビュッシーの、何とも言えないきらめきを含んだ音の重なり・余韻も大好きだ ♪

こういった多彩な音のあり方は、どちらが優れているといったものではない。

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ところが、今回感じたことは、もう少し深い問題のような気がしている。つまり「音楽」が聴こえてくる演奏なのかどうか?という…。

音符の一つ一つはきれいな音でしっかり弾けているのに「音楽」が聴こえてこない演奏、というものが存在するということを体験してしまった、と感じている。

ここで「音楽」というのは、聴き手が演奏から受け取りたいと思っている「価値」みたいなものである。

音楽を楽しむ人が、無意識であっても、何となく思っている音楽の本質というか、音楽の良さの核心部分というか…。人それぞれに、何かしら音楽から受け取りたいと思っている「贈り物」があると思う。

で、その「音楽」はきれいな音や音の塊といった材料や、ダイナミクス(強弱)やアゴーギク(テンポの微妙な変化)などを「上手に構成する」だけでは、つまり素材の積み上げ方式ではなかなか創り出すのが難しいものかもしれない。

その「秘密」が何なのかよく分からないが、「音楽」が聴こえてくる演奏とそうでない演奏があることは確かである。それはピアノが弾けない聴き手にも判ることなのだ。

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で、素人の耳学問(音楽も音楽論も…)レベルではあるが、思ったことがある。それは(失礼を承知で言うと)、ピアニストの中には次のことを誤解している人がいるのかもしれない、ということ。

①楽譜通りに弾くべし
②すべての音が聴衆に届かなくてはならない


①はよく言われることである。が、「楽譜通り」というのは、作曲者が楽譜を通して伝えたかった(表現したかった)ことを読み取って、それを実際の音としてどう再現するか、ということだと思う。楽譜に記号として記入してある音符や記号を、そのまま「正しく」再現することではないと思う。

もしそうであれば、ロボットでも再現できるし、最近はやりの "AI" であればもっとそれらしく演奏するかもしれない。実際、「音楽」が聴こえてこない演奏は、どこかロボット的な演奏に聴こえてしまうこともある。

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②も、これ自体はとても正しいと思う。私の場合、『バレンボイム音楽論』という本(↓)を読んだときに、すこし分かった気がした。



バレンボイムはこの本で「可聴性」と「透明性」という言葉で説明している。つまり、音楽作品の演奏においては「すべての音が聴こえなくてはいけない」し、「音楽の構造が明確に耳で聴きとることができなくてはならない」ということだと思う。

ただし、それは人間の耳の「聴覚」がどう聴きとるかということにも大きく関係しているし、作曲者が聴衆にどういう音を聴かせたかったかということにも関係しているだろう。

ここで、その辺りを説明する能力は私にはないが、少なくとも、「すべての音が聴こえる」ということは、一つ一つの音符の存在が分かるように、楽譜が想像できるように演奏することではないだろう、ということは言える。

参考
〈「バレンボイム音楽論」:音と思考(2/2)〉
〈「バレンボイム音楽論」:私はバッハで育った〉

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…と、例によって?ちょっと理屈っぽくなって来たので、この辺にしておきたいと思う。

いずれにしても、ピアノの「いい音」「いい演奏」とは何か?というのは、私にとってずっと考えていきたい問題である。答えはないかも知れないが、少しずつでも自分の納得できる場所に近づければ…と思っている…(^^)♪

もちろん、「いい音」「いい演奏」というのは、正確にいうと「私の好きなピアノの音・演奏」ということである。







音楽の魅力とイチゴの甘さ ♪

イチゴを食べながらふと考えた。音楽の魅力、音楽を聴いていいな〜と思うところは、イチゴで言えば甘さ(美味しさ)に当たるのかな?…と…(^^)。


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酸っぱいイチゴも甘いイチゴも「イチゴ」であることに変わりはない。でも、できれば甘くて美味しいイチゴを食べたい。

下手なゴルトベルクも上質のゴルトベルクもバッハの作品であることには変わりはない。でも、できれば心から「これいいな〜♪」と思える名演を聴きたい。

家庭菜園でも「イチゴ」の形をしたイチゴ 🍓を作ることはできる。でも、売っているイチゴのように甘くて美味しいイチゴを作ることはなかなか難しい。

ゴルトベルクも楽譜通りに音符をたどれば、ある程度ピアノの弾ける人には「ゴルトベルク」の形をした演奏をすることはできるだろう。(私には無理だけど…(^^;)…)でも「いいな〜」と思えるゴルトベルクを奏でることはなかなか難しい。

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いい演奏を聴いたとき、それを言葉で伝えることに四苦八苦している。「いいな〜♪」とか「素晴らしい」とか「感動した」とか、ありきたりな、中身が伴わない言葉になりがちだ。

イチゴの場合、甘い・甘くないというのはほとんどの人が共通に感じることができる。だから「このイチゴ甘いね〜♪」と言えば、その美味しさはほぼ伝わる。

一方、「この音楽いいね〜♪」と言っても、どういう風にいいのかはなかなか伝わらない。音楽には、イチゴの場合の「甘さ」みたいな共通の基準(モノサシ?)がなさそうなのだ。

それだけ、音楽の「良さ」には多様性があるというか、人それぞれに感じ方が違うということなんだろうけど…。


でも、イチゴの「甘さ」に対する音楽の良さを表す言葉があると、音楽について話をするときに便利、というかもっと理解し合えるようになるかも知れない。

「彼の弾くゴルトベルクはとても甘くて●●●いいよね〜」…とか…(^^;)?

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もちろん、イチゴの美味しさが甘さだけで決まるわけではないように、たとえ音楽の良さを測るモノサシがあったとしても、それだけで決まるわけではないだろう。

味に関しては、甘味だけではなく酸味とか苦味とか、いくつかのパラメータでこんな風に(↓)レーダーチャートで表したりすることがある。

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音楽についてこういうチャートを作るとしたら、どんなパラメータがいいのだろう? これは、暇なときに考えるネタとしては面白いかも知れない。

音(音響)、ハーモニー、旋律、リズム、ダイナミックレンジ、語り口(音楽のニュアンス・表現)、音楽の構成、心地よさ、…。う〜m、いまひとつ面白みにかけるかも…。

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ところで、イチゴ農家の人たちはおそらく「美味しさ」「甘さ」「大きさ」などをどうやって作り出すか、いろんな技術やノウハウを持っておられると思われる。

それはたぶん文章にできるようなことのはずだ。人に教えたくない秘伝?みたいなものは別として…。

ピアノ音楽の演奏においても、すぐれたピアニストは、どうやって「良い」音楽(演奏)を作り出すかについて、たくさんの技術やノウハウを持っているのだろう。

そういう技術やノウハウをまとめた「秘伝書」みたいなものはないものだろうか?

素人考えで何となく感じているのは、ピアノ演奏の教本や解説本では、どうやって「イチゴの形を作るのか」ということは書いてあるのだが、どうやって「イチゴの甘さを出すのか」についてはあまり書かれていないような気がする。(私の読み方の問題?)

もちろん、音楽の「良さ」は技術やノウハウだけで作れるものではなく、それ以上に「音楽性」や「精神性」「人間性」のようなものも必要だとは思うのだけど…。

だけど、どんなに高邁な精神性や豊かな音楽性を持っていたとしても、最終的にピアノという楽器からその音(音楽)を引き出すのは人間の身体動作のはずで、それは(表現のための)技術なのではないだろうか…?

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…とイチゴから始まって、自分でもよく分からない深みにはまっていきそうなので、今日はこの辺で…(^^;)//







ピアノ演奏でのカロリー消費量は?

3月からずっとベートーヴェンのソナタ13番を、半分はピアノ教本がわりにしながら練習している。実は、うちのカミさんもこのところベートーヴェンのソナタを弾いていたりする。

で、カミさん曰く「ベートーヴェンは元気があるときじゃないと弾けないわねぇ…」。

まぁ…そうかも知れないと思いながら…。自分の場合を考えてみると、そうとばかりも言えないようだ。

例えば、風邪気味でしんどいときも、私の場合、練習は苦にならない。それどころか、練習に集中している(集中しないと弾けないので…)うちに体調が少しよくなったりすることもある…(^^)♪

適度な緊張と適度な運動で血流が良くなったりして、身体にもいい影響が出るのかも知れない…? ちゃんと脱力して気持ちよく弾けば、ピアノ演奏は健康にいいのではないだろうか?



ところで、長いピアノソナタとかピアノ協奏曲を弾くピアニストは、相当な体力が必要なのだろうなぁ、などと思いながら、ピアノを弾くときの消費カロリーとかどのくらいだろうとネットを見ていたら、なんと実験した記事(↓)が見つかった。

✏️音楽演奏のエネルギー消費(1)


実験内容は「両手での4オクターブの上行・下行の連続スケールをメトロノームの5段階テンポ(bpm=240・320・400・480・552)と3段階の音の強さ(p・mf・f)の組み合わせ(計15条件)を11名のピアニストに各条件で4分間の演奏」というもの。

その結果、体重1kgあたり、1分間に消費するカロリー数(cal/min/kg)は、

座っているだけで 22 cal/min/kg
弱音(p)でゆっくり弾いた時 32 cal/min/kg
強音(f)で速く弾いた時 49 cal/min/kg
平均 38 cal/min/kg

だったとのこと。

これではよく分からないが、日常の活動やスポーツとの比較が載っているので参考になる。スポーツはもちろん高い数値なので、それ以外の数字を抜粋してグラフにしたものが下記の図。単位は cal/min/kg。

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これを見ると、家の掃除とほぼ同じくらい。頑張って弾いているときは、ゆっくり歩きくらいのカロリーは消費しているようだ。

ピアノを弾く場合には、体力的な面よりも精神的な面の活動が多いのだろうから、本当は精神力の消費?の方が大きいのかもしれない。(どうやって測るの??)



おまけ:私の風邪がピアノの練習で少し改善する理由は、上で書いた「適度な緊張・運動による血流改善」以外にも2つくらいあるかも知れない。

一つは、ベートーヴェンのソナタをそれなりに解釈して、少しでも音楽表現をしようと思うと、自分なりにちょっとした「心構え」をすることになる。それによって、ほんの少しアドレナリンが出ているかも知れない、ということ。

もう一つは、下手は下手なりに一生懸命弾いていると、結果としてうまく弾けなくても、どこかで、ベートーヴェンの音楽から「元気」をもらっているのではないか。そんな気もする。







ピアノのヴォイシング、ボイシング、voicing…?

私が初めて「ヴォイシング」(voicing)という言葉を知ったのは、ピアノにおける和音の弾き方・練習方法を調べていたときのこと。

《Piano Lesson:和音の弾き方:基礎》

このときは、連続和音の練習をしていて、いちばん上の音を旋律として際立たせることをヴォイシングというのか、と思っていた。上の記事で紹介した Graham Fitch 先生のビデオ・レッスンはとても役に立った。

その後、いちばん上だけではなく、和音の縦に並んだすべての音に対する音量配分をヴォイシングというらしいということも分かってきた。



で、いま練習しているベートーヴェンのソナタ第13番第3楽章の連続和音がうまく弾けないので、ヴォイシングの練習方法を使ってみようかと思っていたとき、ふとつまらぬ(自分では面白いと思った)考えが浮かんだのだった。

縦方向(和音)の強弱付けがヴォイシングで、横方向の強弱付けがダイナミクス(デュナーミク)だとすれば、本当はその組み合わせで、10本の指はとてつもなく難しい操作を要求されているのではないか?ということに思い当たったのだ。

気晴らしに?理工学的?イメージ図を作ってみた。下記の楽譜の3小節目を考えてみる。

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この小節の音量配分を、横方向を赤い数字、縦方向を青い数字でテキトーに書いてみた(5段階)。そうすると、和音を構成するそれぞれの音はその二つの数字によって決まるはずである。面倒なので2拍目だけ、大雑把に音量配分(音符の中の白い数字)を入れてみると、こんな(↓)感じになるのでは…?

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まぁ、実際にはこんなこと考えながら弾けるわけもないが、一人でこんな絵を描いて面白がっていた次第。…なのだが、もしかして、プロのピアニストはこれに近いことをやっていたりするのだろうか??



それはさておき、タイトルに「ヴォイシング、ボイシング、voicing」と書いたのは、実はピアノに関して「ヴォイシング」という言葉はいくつかの使われ方をしているようなのだ。

ポピュラー系(ジャズ系?)では、同じコード名の和音に対して、どういう音の組み合せをするか、ということをヴォイシングと呼ぶようだ。

例えば Wikipedia の「ボイシング」の項には、

「作曲と編曲において、ボイシングとは、楽器法および、和音に含まれるそれぞれの音の垂直的な間隔と並び順を決めることである(どの音を最高音位や中間音位に配分するのか、どの音を重複させるのか、それぞれの音をどのオクターブに置くのか、それらの音をどの楽器や歌に担当させるのか、転回形を決定する最低音位にはどの音を配分するのか)」

という説明がある。

たとえば、C(ドミソ)の和音でも、ソドミ、ミソドなどの転回形、いちばん上の音をどれにするか、どの音を重複させるかなど、数え切れないほどの組み合せがある。それによって当然、和音の響きや音楽そのものが変わってくる。

ジャズなどでは、コード進行だけをあらかじめ決めて、実際の演奏は各プレーヤーの即興演奏でやったりするので、どのように「ボイシング」するかというセンスが問われることになるのだろう。



そして、もう一つピアノの調律でもヴォイシングという言葉が使われていて、日本語では「整音」と呼ばれる。

これは、音色を揃える・整えるために、ハンマーのフェルトに紙やすりをかけたり針を刺したりなどして音色を調整すること(のはず…)。

参考:http://www.miyajimusic.com/piano/tuning/tuning1_2.php

【関連記事】

《ピアノ「一日ドック」の効果! ♪》
《「羊と鋼の森」感想文?》



…と、何となくいろいろ知識だけは増えたのだが、ベトソナ13番の第3楽章、練習しなくっちゃ…(^^;)!