「スタンウェイ」強さの本質は「アイコン的組織」にあった?

こんな記事(↓)を見つけて、面白そうだなと思って読んだら、実はビジネス的な話。「スタインウェイ」という会社組織の素晴らしさと、そのDNAによって160年にわたって世界一のグランドピアノを生み出し続けた、という話。

✏️世界一のピアノ「スタンウェイ」強さの本質

これは「東洋経済」の「読書」コーナーで、『アイコン的組織論』という本(↓)の内容が連載で紹介されている2回目のもの。現在、「マッキンゼー」「スタインウェイ」「ゴアテックス」ときている。



この本は副題が「超一流のコンサルタントたちが説く『能力の好循環』」となっていて、完全に経営書である。…のだが、そもそものきっかけが「ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団」(の経営?)で、楽団のディレクターも著書の一人になっているせいか、他にもベルリン・フィル、ウィーン・フィルという一流の管弦楽団もとり上げられている。

シェルやP&Gなどの企業や、オールブラックスという世界最強のラグビーチームや、世界一予約のとれないレストランとして有名?な「エル・ブリ」など、ぜんぶで14団体のうち3つがオーケストラ、1つが「スタインウェイ」なので、音楽に興味のある人にも面白いのかもしれない…。

「東洋経済」の連載でオーケストラも取り上げてくれると嬉しいのだが…(^^) ♪

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本のタイトルの「アイコン」というのは、その分野で長年トップを占め続けて半ばその分野の代名詞のようになっているもののこと。「グランドピアノといえばスタインウェイ」みたいな感じで…。

そういう組織はひときわ優れていて、分野に関わらず共通点がある。それが、卓越した「人材」、素晴らしい働きをする「チーム」…というのだから、結論を聞いてしまえば「そりゃそうだろう!」となる。…のだが、そういう組織がどうやってできたかがミソなのだろう…たぶん。

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スタインウェイ(社)の話に戻ると…。

1853年、創業時の目標は「世界最高のピアノを受け入れられやすい価格帯で製造すること」だった。「価格帯」が受け入れられやすいかどうかはさておき、最初から「世界最高」を目指したことが第一の成功要因だろう。

その成果は1867年のパリ万博(大政奉還の年なんだ…)での大成功につながる。人々がこぞってスタインウェイのピアノに殺到する様子が戯画になっている(↓)。

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もちろん技術的にも優れていて、初めて「交差弦方式」を採用したのもスタインウェイだ。その結果「ベース弦が響鳴板のより中央に位置するようになり、音振動が増幅された」。

そういえば、バレンボイムが自分用に平行弦のピアノを作った(↓)ときに、そのメリットとして「すべての音が均一になる、異なる弦どうしの干渉・影響が少なくなる」と説明されていたが、音の振動(響き)という点ではどうなったのだろう?

《バレンボイム・ブランドのピアノ ♪》

その後「内リムと外リムを一工程で製造する方式」などが開発され、さらに「響く」ピアノになっていく。ちなみに、現在スタインウェイ社が保有している特許は125件に上る。

マーケティング(自社製品の価値を高める)という点でも、自社で2,500人以上収容できるコンサートホールを作ったりしている。響くピアノが活躍できる場所を作ったわけだ。

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長い歴史の中でいくつかの試練も経験している。

「1880年の試練」では、中流家庭のアップライトピアノや自動演奏ピアノへの需要が高まったのだが、頑なに最高品質のグランドピアノにこだわった。結果的にはいい選択だった。

最近は市場の状況も変わったのか、技術的進歩によるものなのか、"SPIRIO" という自動演奏ピアノ(日本での販売は2018年春以降)を作ったりしているが…。


CBS に買収された「1972年の試練」は深刻だったようだ。CBS はビジネス(お金儲け)的観点から「コスト削減」「流通網拡大」に取り組むが、製品および販売店の品質の劣化を招き、ピアノを返品するピアニストも続出したらしい。

ただ、幸いなことに職人の中の「最高品質を目指すDNA」は残っていて、CBS の手を離れたあと、1995年頃からは元の評判を取り戻したようだ。

その後も、何度か経営者が変わっていくのだが、現在のオーナーは2013年に買収した「ポールソン&カンパニー」(↓)。その後変わってなければ…(^^;)。

《スタインウェイを買うなら1900年〜1967年もの?》


…自分でスタインウェイを買うことはないだろうが、素晴らしいグランドピアノを作り続ける「アイコン的組織」は何としても残って欲しいと思う…(^^)♪







ピアニストが解説する「ピアノの名曲:聴きどころ弾きどころ」♪

イリーナ・メジューエワさんの『ピアノの名曲 聴きどころ 弾きどころ』(2017年9月刊)という本を読みおえた。感想の一部は《いいピアノ演奏の「いい」の中身♪?》に書いた。




10人の作曲家の代表的ピアノ曲(↓)について、ポイントになる部分を楽譜で示しながら、その解釈や弾き方などをピアニストの立場から書いてある。

バッハ:平均律クラヴィア曲集、ゴルトベルク変奏曲
モーツァルト:ピアノソナタ第11番「トルコ行進曲付き」
ベートーヴェン:ピアノソナタ第14番「月光」、ピアノソナタ第32番
シューベルト:「四つの即興曲」より第3番、ピアノソナタ第21番
シューマン:「子どもの情景」より〈トロイメライ〉、クライスレリアーナ
ショパン:「練習曲集 作品10」より〈別れの曲〉
リスト:「ラ・カンパネラ」、ピアノソナタ ロ短調
ムソルグスキー:「展覧会の絵」
ドビュッシー:「ベルガマスク組曲」より〈月の光〉
ラヴェル:「夜のガスパール」


語り口はやさしいのだが、私のような素人ピアノ・ファンにはやや難しい内容(とくに楽譜の技術的解釈など…)である。普通にこういう曲を弾ける(練習できる)人にとっては、とてもいい本なのではないかと思う(たぶん)。以下、私なりの読書メモ(やや長文)。


🎼バッハ、モーツァルトは革命家?


バッハとモーツァルトについて、彼らは「しっかり伝統を勉強して、それをとんでもないものにする保守的な革命家」であると書いてある。

これを読みながら思ったのは、これまでの音楽の伝統をしっかり受け継ぎながらも「とんでもないもの」を生み出すようなすごい作曲家が、現代にもいるといいなぁ…ということ。

でも、そういう作曲家がいたとしても現代人がそれを理解して、素晴らしいと思えるかどうかは分からないが。「現代のバッハ」は未来の人にしか発見できないのかもしれない…。


🎼ベートーヴェンのピアノソナタ


ベートーヴェンのソナタ全曲演奏をやるピアニストはけっこういるが、全曲演奏は「山登りに近い世界」だそうで「実際に登ってみて初めて見えてくるものがある」らしい。そうかもしれないが、私にはできない、麓から見上げているしかない…(^^;)。

ベートーヴェンのソナタの特徴として、弦楽四重奏的な発想(4声部)で書かれていることが多く、それを理解することが大事だと書かれている。

また晩年になると、耳が聞こえないことによるのかもしれないが、その「声部が離れていく感じが強くなる」「右手がより高音域へ、左手がより低音域へ」という傾向があるそうだ。

それは「ベートーヴェンの頭の中で鳴っていたイマジナリー・ピアノとしての可能な響きをすべて表現」しようとして「楽器を超えて理想を目指している」結果なのだろう、と。

メジューエワさんは、第32番ソナタのアファナシエフの演奏を高く評価していて、「我々には聞こえないような音、響きを探して迷っているという、そのプロセスがそのまま演奏になった」と言っている。「響きを探すプロセス」というのが面白い。


🎼シューベルト作品を弾く難しさ


シューベルト作品は、リスト弾きのピアニストにとっては難しいらしい。

シューベルトの音楽には「インティメートの雰囲気」が必要で「音の中の静けさをつくる、聴く」ことができなければ弾けない。「いい瞬間、いい音色、いい静けさ」をどうやって作り出すか…。それには「ヴィルトゥオーゾの指ががんがん動くのとは違う難しさ」がある。

さらに「声部間のバランス」をとる難しさがある。「本当のピアニッシモでメロディを弾くと、内声の伴奏がさらに難しくなる」「とても細かい名人芸。集中力、聴く能力、手・指先のタッチとバランスの繊細さ」が必要となる。

個人的にはリストよりシューベルトが好きだが、「ピアニッシモでメロディを弾く」、しかも小指で、というのはなかなか難しい。ましてや「声部間のバランス」となるともうお手上げだ…(^^;)。


🎼シューマンは玄人(ピアニスト)好み?


「トロイメライ」のところで書かれていた「音楽における詩は音そのもの」という話はとても気に入った。

詩というのは言葉を削って作り出す…(その)言葉そのものが詩…他の言葉では内容を伝えられない

同じように、音楽における詩は
音そのもの、一つ一つの和音そのもの、フレーズ、静かさのかげん」。


それから、「クライスレリアーナ」のところに書いてあった「ピアノを弾いている人間にはたまらない」という話も面白いのだが、それって音楽としてどうよ?という気もする。

シェーンベルクや20世紀の前半の作品についてよく言われることですけれども、楽譜を見る見ないでは音楽を楽しめる度合いが大きく変わる。ある意味でシューマンも同じですね。頭で作っている部分が強いんです

スタッカートのあるなしなど楽譜での細かい指示でポリフォニー感が増えたりする…「そういうところが、ピアノを弾いている人間にはたまらない」のだが「その細かさを聴き手に伝えるのは難しい」のだそうだ…。

それって、楽譜を熟知していて自分で弾いているピアニストの方が、その演奏を聴いている人より、シューマンの音楽をより楽しめる、満足度が高い、ってこと?

たしかに、自分が練習した曲の方が、聴いていてもよく分かるような気がするので、そうかも知れないのだが…。ピアノの演奏では、聴衆に何を伝えるか?が大事だったのでは…?


🎼ショパン「別れの曲」は難しい?


ショパンの「エチュード作品10」が音大の試験等で課題曲となる場合、第3曲「別れの曲」と第6曲とが除外されることが多いそうだが、実は「別れの曲」というのはけっこう難しくて、ピアニストの実力がよく分かる曲らしい。

私も、「別れの曲」なら頑張れば弾けるかも…と思っていたので、エチュードに入っているのに何となく違和感を持っていたのだが…。

この曲は、レガートで歌う、ポリフォニーをちゃんと弾き分ける、ルバートを正しく表現する、などいくつかの課題を盛り込んだ練習曲になっていて、「音楽の基本的なことはこのエチュード1曲を聴けばわかる」ほどの曲らしい。

また、メジューエワさんは「エチュード作品10」全曲を通して弾くときに「別れの曲」をどう弾くかという難しさもあるという。アンコールとかで弾く方が弾きやすいらしい…。聴き手の期待値(あのよく知っている曲)と「作品10」の中の位置づけというのが微妙に異なるのだろう。

ショパンの言葉として、「一つの音にグラデーションをつけて練習しなさい」という言葉が紹介されていて、フォルテやピアノ、嬉しく・悲しくなど20種類以上の練習をするように言っているそうだ。

この曲でも、意識的に表現の幅を広げることが必要なのかも知れない。「別れの曲」は表現力のためのエチュードとも言えるのかも…。


🎼リスト、ムソルグスキー


リストについては、個人的にそれほど興味がないので割愛。リストの作品は必要以上にポーズが多すぎるとか、「エフェクトが多すぎる」というショパンの意見には共感…(^^;)。

ただ、ロ短調ソナタについては「リストの全てが詰まっている」作品という評価で、詳しく説明してあるので参考になるかも…。


ムソルグスキーも「展覧会の絵」はわりと好きな曲ではあるが、他はほとんど知らない。

メジューエワさんの評価は、「(ロシアの作曲家の中でも)ムソルグスキーだけは、ちょっとカテゴライズできないような特別な存在」「とくに『展覧会の絵』は…別格…桁外れにすごい作品」ということだ。


🎼ドビュッシー、ラヴェル


ドビュッシーについては、「音そのものの響きをつくって楽しむ世界」であり、「音色で詩的なものを引き出す」ことが大事ということが書いてある。

ただし、「静かで詩的な雰囲気を出して…と思うと…ソフトフォーカスの方向へ」行きがちだが、そうではなく、フランス物については「常にクリアな音色やリズムが必要」ということだが、私も聴き手の一人としてクリアな演奏の方が好きだ。


ラヴェルでは「夜のガスパール」がとりあげられている。この曲は、ラヴェルがバラキレフの「イスラメイ」を超える難曲を書きたくて作った曲であるらしく、相当に難しい曲だとのこと。自分で弾く可能性ゼロの「鑑賞曲」としてしか聴いていないと、難易度まではよく分からない…(^^;)。

形式でいうと「全体として3楽章からなるソナタのような形」だそうで、そういう(ソナタのような曲としての)聴き方をしたことがないので、ちょっと新鮮な感じを受けた。

たとえば「オンディーヌ」には「主題が2つあって、展開部、再現部にあたる部分もある」らしいのだ。「絞首台」は緩徐楽章に当たる。

さらに、「ある音楽学者の説によると、この曲(「絞首台」)を弾くにためには27種類の音色が必要」とか…。27種類の中身を知りたいものだが、どうやって数えたのだろう…?


🎼全体の感想


まず思ったのは、自分が練習する曲について、こういう風に細かく、イメージ豊かに解説してくれたらどんなにかありがたいことだろう、ということ。解釈やイメージ的なこと、技術的なポイント、難しさの具体的な内容など…。

そして、プロのピアニストが曲を仕上げるためにどんなことを考えどんなところに苦心し、どんな風に弾こうとしているのか、などといったことが何となく分かって面白かった。

さらに、その内容が多岐にわたり、しかも奥深いことが感じられて、一つのピアノ曲を作曲家がイメージしたような音楽として音にする(演奏する)には、こんなにもたくさんのことを考え、実施しなければならないのか…とも思った。

なので、演奏を聴いて直感的に「いいなぁ ♪」とか「面白くないなぁ…」と感じている、その違いは、このようなたくさんのことをちゃんとできているかどうか、ということからきているのかも知れないなどと想像してしまった。

「一つの曲をピアノで弾く」という中にどれほど多くのものが入っていることか…(^^)!♪


🎼イリーナ・メジューエワ


イリーナ・メジューエワ(Irina Mejoueva、ロシア、1975〜)という名前を知ったのは、たぶんニコライ・メトネルという作曲家を初めて聞いたのとほぼ同時だったと思う。なので、私の中ではメトネル弾きのピアニストというイメージ。

50人の海外ピアニストを探索したとき(《聴いてみたいピアニスト50人:「ピアニストの系譜」から》)にも、その一人としてチェックしていて「お気に入りピアニスト」の候補にはなっている(↓)。

〈イリーナ・メジューエワ:A-(Pianist Check)〉

ちなみに今年は日本デビュー20周年だそうで、記念リサイタルが行われている。2回目が11月の「ショパン」、3回目が来年2月の「リスト・ラフマニノフ・メトネル」(↓)。


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中村紘子さん最後のエッセイ集『ピアニストだって冒険する』を読んで…

中村紘子さんの『ピアニストだって冒険する』(新潮社、2017/6/30刊)を読み終えた。残念なことに、最後のエッセイ集になってしまった本である。

若い頃の『ピアニストという蛮族がいる』とか、『チャイコフスキー・コンクール―ピアニストが聴く現代』とかに比べると、筆の勢いも穏やかになり、同じような話が繰り返されたり、話題があちこちに(とくに昔話に)飛んだり、とやや残念な部分もないわけではないが、その内容は相変わらず面白い。

一番面白かった?のは、前回の記事《2015年のチャイコン優勝者はロシア人じゃなかった!ギワク?》に書いた話であるが、それ以外でいくつかの感想(読みながら考えたこと)を書いてみたい。


『ピアニストだって冒険する』


「いい音」は響き(情報量)が豊か ♪


これまでも何度か書かれていると思うが、日本人ピアニストの「音色」は「音が固い」「響きが無い」という話が出ている。欧米やロシアのピアニストと比べると歴然とした差があり、それが国際コンクールで日本人が活躍できない理由の一つかもしれないという話である。

その「響き」についてこういう風(↓)に説明してある。

「(響きとは)そこにこめられた奏者の率直な思いや息吹、思想や宇宙、要するにつきつめて言えば、その人を育んできた『文化』のことに他ならない」

私自身、ピアノの「音色」にはとても関心がある。とくに聴くときには、音色が平凡だったり、音色のパレットが貧弱な演奏は好みではないので、途中で聴くことをやめたりすることも多い。ピアノ音楽にとってピアノの音色の美しさはとても重要だと思っている。

本当は自分が弾く(練習する)ときにも「音色」にこだわりたいのだが、残念ながら技術が追いつかないので…(^^;)。

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ところで、音色に関する言い方で最近気に入っているのは「情報量」という言葉だ。以前からなんとなく知ってはいたが、言葉として明確に意識したのは『蜜蜂と遠雷』を読んだときである。こういう(↓)表現になっている。

「凄い情報量だ。プロとアマの違いは、そこに含まれる情報量の差だ。一音一音にぎっしりと哲学や世界観のようなものが詰めこまれ、なおかつみずみずしい。…常に音の水面下ではマグマのように熱く流動的な想念が鼓動している」
《『蜜蜂と遠雷』風変わりな感想文?》

2つを並べてみると、響き=情報量=「奏者の思い、思想、宇宙、哲学、世界観」のように思えてくる。これはこれで分かる気もするのだが、それ以前に、もっと物理的・音響的あるいは聴き手の生理的・感情的なレベルでの「情報量」というのがあるようにも思う。

さらにいうと、ピアノ奏法のレベル、表現技術のレベルでの方法論があるはずだ。思いや世界観をどうやって実際のピアノの音に変換するのか、それがピアニストの腕の見せどころなのでは? それができなければ、…

「音色に繊細なニュアンスを欠き、表情がフォルテかピアノだけ、という表現」

…にしかならないと思う。


「成熟」の話


上の話とも関連するが、最近の日本における「本物の文化」の軽視・希薄化、そしてその裏返しでもある「軽チャー」の蔓延を嘆いておられる(↓)が、まったく同感である。

「(日本では)…どうも近年、クラシック音楽をはじめとする、いわゆる人間の『成熟度』を必要とする分野に携わる人々の存在感というか、社会における発言権が昔に比べて希薄になってきたように思う」

「…人間の成熟には時間がかかるが、それを寛容に受けとめる社会がなければならない。でも今日の日本でもてはやされているのは軽チャーであり、未成熟な子供っぽい思考である」


この背景には、音楽界に関わる人たちの感性が「芸術」や「文化」よりも「金儲け」にシフトしてしまっていることがあるのではないかと思う。

例えば、国際コンクールの入賞者を見る周囲(音楽事務所等?)の目も、「手早くお金にするには?」「売れるうちに売っておこう」という観点が際立っていて、長い目で才能をどうやって育てようか、などという雰囲気はあまり感じない…。(ちょっと勘ぐり過ぎか…?)

2020年の東京五輪では文化面でも日本が注目を浴びると思われるが、世界に向かって誇れる「日本文化」を見せることができればと願う。戦後復興の節目となった1964年の東京五輪から56年、十分に「成熟」する時間はあったはずなのだが…。


若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール


恥ずかしながら初めて知ったのだが、日本でもチャイコフスキー国際コンクールが開催されていたそうだ。といっても「若い音楽家(8歳〜17歳)のための〜」であるが…。

その第2回(1995年)が仙台で、第5回(2004年)が倉敷で開催されている。

第2回コンクールでは、当初予定されていたレフ・ブラセンコ氏の病状が悪化したため、中村紘子さんが審査委員長を務めている。しかも、このときの1位が13歳のラン・ラン、2位が15歳の上原彩子さんであったらしい。

この「開催経験をもとに、伊達政宗による仙台開府四百年を記念して、2001年から」始まったのが「仙台国際ピアノコンクール」ということになる。

倉敷で開催された2004年からずいぶん経つが、日本のどこかの都市で次の「若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール」を招聘(誘致?)しよう、などという動きはないのだろうか?

日本も「音楽文化」における存在感を出していかないと、ホントに "Japan passing" になりそうな気配が…(^^;)??

《天津ジュリアード音楽院:文化面でもJapan passing?》


おまけ:レパートリー化は諦め?


他にもいくつか興味深いことがあったのだが、自分自身に関係することでひとつ。

練習した曲の「レパートリー化」というのをいつかは実現したいと思っていたのだが…。つまり、楽譜を見ないでも、いつでもすぐに弾ける曲を2〜3曲は持ちたい、という願望である。

…が、それはどうも諦めた方がよいのではないか?と思えることを、中村紘子さんがさらっと言っておられるのだ。

「十代の半ば頃までに暗譜した曲は、いつ、なんどきでも簡単に取り出せる」

つまり、逆に言うと十代後半以降に暗譜した曲は「いつ、なんどきでも簡単に取り出せる」わけではない…ということになる。ましてや60代後半からピアノを始めた人(私…)は「レパートリー化」など夢のまた夢…なのかな〜(^^;)?


【関連記事】
《「ピアニストという蛮族がいる」やっと読んだ…》
《「ピアニストは半分アスリートである」の裏付け?》
《ピアノコンクールの意義?「コンクールでお会いしましょう」》
《ピアノ音楽に求められる「プラスアルファ」とは?》
《中村紘子さんの「チャイコフスキー・コンクール」面白い!♪》
《中村紘子さんの訃報に接して》
〈読書メモ:ピアニストだって冒険する〉

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『蜜蜂と遠雷』風変わりな感想文?

読書の秋に向けて…というわけではないが、そして今更という気がしないでもないが、恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』を読んだ。



小説はほとんど読まないのだが、テーマが国際ピアノコンクールということで読んでみた。これが実に面白かった。第156回直木賞(2017.1.19)、2017年本屋大賞(2017.4.11)を受賞しただけのことはある。

それにしても、よくこれだけのリアルな(実際のコンクールで実在のコンテスタントがそれぞれに苦悩し進化しているような…、そして実在していそうな審査員たちなどの…)描写ができるなぁと感心した。

…と思いながらネットの情報を見ていたら、恩田陸さんご自身「高校生までピアノを続け、大学時代はビッグバンドでアルトサックスを担当」とあり、かつモデルとなった浜松国際ピアノコンクールに「第4回から4回、12年通いつめた」そうだ。すごい…(^^)!♪

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私自身、2015年の「国際ピアノ・コンクールの当たり年」以来、ピアノコンクールのファン(ネット経由ですが…)みたいになっていて、いくつかの国際コンクールに関する本(ノンフィクション)も読んだ(↓)が、もちろんそういう本とは違って、小説らしい「人間の描き方」は面白かった。

《中村紘子さんの「チャイコフスキー・コンクール」面白い!♪》
《本「ショパン・コンクール」知っているピアニスト沢山 ♪》
《ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールについて(読書メモ)》

この小説の特長の一つとして、音楽(演奏)の描き方の素晴らしさがあると思う。ときには実際に会場で聴いているような、時間経過さえ感じさせるような引き込まれるような描写である。

ただ、ときどきちょっとやりすぎのようなところもあり、いつの間にか「ファンタジー」みたいな気分になって、私としてはちょっと…(^^;)。この辺りの「さじ加減」は個人の好みにもよるのだろうが…。

なんとなく、このコンクールが終わったあとに登場人物の一人くらいは、風の又三郎のようにどこかに消えてしまっても不思議じゃないような…?

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で、ここからはちょっと「風変わりな(音楽的な?)感想文」みたいになるのだが、一人のピアノ音楽ファンとして参考になったことをいくつか…。

ある登場人物は「なぜピアノをやるか」「なぜコンクールに参加しているのか」といった自問を繰り返す…。そんな中に出てきた次の表現は、ちょっといい感じ ♪ がした。

…外側にある音楽を味わい、それを追体験するためにピアノを弾き、世界に溢れる音楽の再現を楽しむ…

私の下手な趣味のピアノも、好きなピアニストによる好きなピアノ曲の「追体験」をするため?…追体験できるほどうまく弾ければいいのだが…(^^;)。でも、方向性としてはこういう考え方もアリかと…。

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それから、相変わらず折にふれて考えている「いい音楽とは?」「いい演奏とは?」に対するヒントが散りばめられていると思った。例えば…。

その音を境として劇的に覚醒したのだ。違う。音が。全く違う。

音楽というのは人間性なのだ

彼の演奏を聴くと、良かれ悪しかれ、感情的にならずにはいられない。彼の音は、聴く者の意識下にある、普段は押し殺している感情の、どこか生々しい部分に触れてくるのだ。…それは、誰もが持っている、胸の奥の小部屋(心の奥の柔らかい部分)だ。

凄い情報量だ。プロとアマの違いは、そこに含まれる情報量の差だ。一音一音にぎっしりと哲学や世界観のようなものが詰めこまれ、なおかつみずみずしい。…常に音の水面下ではマグマのように熱く流動的な想念が鼓動している。



逆につまらない演奏の一つの典型を表現するいい言葉を覚えた。「アトラクション」!

…最近のハリウッド映画はエンターテインメントではなく、アトラクションである

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そして、登場するあるコンテスタントの思い(↓)に強く共感した。

「新たな」クラシックを作ること…「新たな」コンポーザー・ピアニストになること…

…新曲を、最新の曲に生で接する喜びを、もう味わうことはできないのだろうか?…初演を聴く喜び…

もっと当たり前に、コンサートピアニストが新曲の発表ができるようになればいい…



以前から、現代の、同時代を生きる作曲家やピアニストの創る「新しいピアノ音楽」を聴きたいという思いがある。それも生で「初演」に立ち会うことができれば、それは素晴らしい体験になるのでは、と思っている。

それはいわゆる「現代音楽」ではなく、人間が自然に「いいなぁ ♪」と思える作品で、ピアノの新しい可能性を感じさせてくれるようなものであってほしい。

そういう作品を生み出すのは、専業「作曲家」よりも、ピアノ演奏を極めた「コンポーザー・ピアニスト」の方が期待ができるのではないだろうか? 「コンサートピアニストによる新曲発表リサイタル」!ん〜いい響きだ…(^^)♪

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この小説にはいくつかのテーマが、よくできた音楽作品のように織り込まれていると思う。そのテーマの一つが「閉じ込められてしまった音楽をそれが元あった自然の中に解き放つ」(とはどういうことなのか?)だと思った。いくつかの関連部分を抜き書きしてみると…。

耳を澄ませば、こんなにも世界は音楽に満ちている。

この暗い温室、厚い壁に守られた監獄で、ぬくぬくと庇護されている音楽を解放してやりたいような心地になってきたのだ。この音符の群れを、広いところに連れ出してやりたい。

本来、人間は自然の中に音楽を聴いていた。その聞き取ったものが譜面となり、曲となる。だが、彼の場合、曲を自然の方に「還元」しているのだ。かつて我々が世界の中に聞き取っていた音楽を、再び世界に返している。

「音楽をね、世界に連れ出すって約束」



この辺りの話はいろんな解釈があるような気もするが、私自身は、ドビュッシーが『音楽のために』という本で書いている、次のような言葉と重なって、とても興味深かった。

身のまわりにある無数の自然のざわめきを聞こう。

野外音楽こそ、音楽の所有しているあらゆる力を結集するまたとない好機を音楽家に提供するもののように、私には思えるのだ。…コンサートホールのような密室の中では異様に聞こえるような和音の連続も、野外ではその真価をおそらく取り戻すだろう。


参考:《ドビュッシーの追求した音楽:「音楽のために」から》

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おまけ。音楽系の小説ではよくあるのだが、こんなCD(↓)も出ている。個人的には、曲ごとに好きなピアニストの演奏で聴きたいと思うが…。

『蜜蜂と遠雷』ピアノ全集[完全盤](8CD)

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本『クラシックの新常識』?

若い頃は自分自身で「クラシック音楽ファン」だと思っていたのだが、最近は「(クラシック)ピアノ音楽ファン」だと思うようになってきた。

オーケストラの曲で知っている、あるいは聴いたことのある曲はかなり限られているし、室内楽などほとんど知らないに等しい。それに世の「クラシック・ファン」が大好きらしいオペラやバレエ音楽にも興味がない。

でも、少し(一通り?)は知っておきたいとも思う。…ので、たまに思い出したように『痛快! クラシックの新常識』などという本を、図書館で見つけては読んでみたりする。



まぁ「入門書」の類なので、それほど面白い話はなかったのだが、次の3章構成にそってメモ的感想文を書いてみる。

第1章:クラシックの常識・非常識
第2章:大作曲家の素顔
第3章:クラシック名盤ベスト25

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第1章に「クラシックは当時のポップスだった?」という、よく聞く話が書いてある。「クラシックが静かに鑑賞すべき尊い芸術だと見なされるようになったのは、実は遠い昔ではない」と始まって、そのあとの話を期待したのだが、残念ながら何も書いてない。

いつ頃からどういう経緯で「尊く」なったのかが分かると、今後のクラシック音楽を考えるヒントになったかも知れないのだが…。

「クラシック作曲家」の定義?(↓)は、ちょっと皮肉交じりで面白いのだが、「質を求める芸術音楽主義」というのがよく分からない。音楽における「質」って何なのだ?「芸術音楽」とは?

現代においては、作品だけではなかなか食えない作曲家をクラシック作曲家と考えることができよう。要するに、ヒット至上主義ではなく、質を求める芸術音楽主義ということ

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第2章は、大作曲家の素顔?を2ページちょっとにまとめて、やや誇張して面白く紹介している。面白い話を読んで、興味を持って、1曲でも聴いてもらえたらラッキーくらいの軽い紹介記事だ。

で、パラパラ読み進むと「まだいるのか…」というほど大勢の「大作曲家」が登場する。数えると36人で、全部知っている作曲家だ。(私も)意外にたくさん知っているんだなぁ、と妙に感心。

この中で、ちょっと「あれっ?」と思ったのはアルカンくらい。シャルル=ヴァランタン・アルカンってそんなに有名だっけ?

…と思ってよく見ると、逆にプロコフィエフが見当たらない。ジョン・ケージはいるがシェーンベルクがいない。グリーグはいるが、シベリウスがいない…とか少し気になることがないでもない。面白いエピソードとかがなかったのか…な?

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ちょっと面白かったのは、ロマン主義の時代には2種類の音楽があるという話。

一つは「自分の心の中をひっそりと表したピアノ音楽」で、もう一つは「大規模なオペラや管弦楽曲で、『どうだ、オレはこう感じているんだぞ、おまえも賛成しろ』と聴き手を征服しようとする音楽」。

前者の例としてシューマン、ショパン、ブラームスなど、後者の例としてワーグナーやマーラーなどが紹介されている。

そうか!そうだったんだ! 私が好きなのは「自分の心の中をひっそりと表したピアノ音楽」で、あまり好きでないのがワーグナーに代表される「聴き手を征服しようとする音楽」だったんだ! なんか「腑に落ちた」感じ…(^^)♪

最初に書いた「私はピアノ音楽ファン」というのが、裏付けられた?…ような気もする。

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「第3章:クラシック名盤ベスト25」はちょっと疑問を感じた。

いや、掲載されているCDはすべて「名盤」なのだとは思う。でも、指揮者でいうと「カラヤン、カール・ベーム、ゲオルク・ショルティ、…」とかなり古色蒼然とした名前が並んでいる。たしかに記念碑的な名演奏なのだろうが「新」常識と謳うなら、これはちょっと古すぎませんか?という感じ…(^^;)。

ピアノ曲でいうと、マリア・ジョアン・ピリスの『ショパン:夜想曲全集』と、マルタ・アルゲリッチの『チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番』がとり上げられているのだが…。

『ショパン:夜想曲全集』


『ピアノ協奏曲:ラフマニノフ第3番 / チャイコフスキー第1番』


ピリスさんのは2014年発売(来日記念)だが、説明に「1996年レコード・アカデミー賞器楽曲部門受賞」とあるので録音はかなり前のもの。アルゲリッチのは「1980年と82年にレコーディングされたライヴ盤」のようだ。

もう少し最近の、ピアニストであれば、例えばダニール・トリフォノフとか、それが若すぎるならピエール=ロラン・エマールとかピョートル・アンデルシェフスキあたりの世代の名盤を紹介してほしいものだ…と思った。