「羊と鋼の森」感想文?


『羊と鋼の森』という小説を読んだ。

少し前の本だし、感想文(的な記事)を書くつもりはなかったのだが、最近話題にしている人がいたりするので、チェックしてみた。どうやら、映画化が決まったということらしい。

本屋大賞第1位「羊と鋼の森」映画化は2018年公開予定

だから…という訳でもないのだが、少しだけメモ的なことを書いてみようと思う。





これは、何人かの調律師といくつかのピアノとピアノを弾く人たちが登場する、宮下奈都の小説だ。(ご存知の方が多いと思うが…)

ピアノ好きで理工系の私としては、弾くこと・聴くこと以外に、ピアノの仕組みとか作り方とか調律のことにもとても興味がある。そういう意味でも、この本はなかなか面白かった。

チューニングの話とか、ハンマーのフェルトの調整(針で刺す、削る)などの話はよく分かったが、グランドピアノの脚の向きを変えると響きが変わることまでは知らなかった ♪



かなり前になるが、『調律師、至高の音をつくる』『ピアノはなぜ黒いのか』など、調律師の方の本も興味深く読んだ記憶がある。

自宅のピアノの分解掃除?に付き合ったり、楽器展示会でチューニングの体験をさせてもらったこともある。(以下、参考記事)

《ピアノ「一日ドック」の効果! ♪》
《楽器店のピアノ展示会:体験レポート》
《ピアノの心臓部を握るルイス・レンナー社って知ってますか?》


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さて、小説の話に戻るが、小学生の頃から「感想文」というのは苦手である。「面白かった」とか「つまらなかった」くらいしか思いつかないのである。今でも…(^^;)。

なので、ちょっと私の「琴線に触れた」箇所をいくつか抜き書きしてみることにする。



人にはひとりひとり生きる場所があるように、ピアノにも一台ずつふさわしい場所があるのだと思う。コンサートホールのピアノは、堂々として、輝いて、いちばん美しい音を響かせて僕たちを魅了する。そう思ってきた。でも、いちばん美しいと誰に言えるのだ。これが最高だと誰が決めるのだ。

ホールでたくさんの人と聴く音楽と、できるだけ近くで演奏者の息づかいを感じながら聴く音楽は、比べるようなものではない。


→人もピアノも音楽も「多様性」が大事で、その中には「優劣をつけない」ということも含まれる。



「そのピアノで弾くとね、ピアニストが思っていることが全部音色に出るんだ。逆に言えば、ピアニストの中にない音は弾けない。ピアニストの技量がはっきりと出るってこと」

「ほんとうは僕だって、打てば響くように、もっと敏感に反応するように調整したい。でもそれを我慢している。響かないように、鈍く調整する。鍵盤にある程度遊びがあったほうが粗が目立たないからだよ。お客さんに合わせて、わざとあんまり鳴らないピアノに調整しているんだ」


→「ピアニストの中にない音は弾けない」…なんだかすごい言葉のような…。



「歯がゆいなあ。がむしゃらにがんばりたいのに、何をがんばればいいのかわからない」

→この気持ち、よくわかる気がする。



「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」

→原民喜の文章の一節として(たぶん)2回ほど引用されている。印象的な言葉。「文体」を「音」とか「音楽」に置き換えると…。



他にも、いろいろあったのだが忘れてしまった…(^^;)。

若い頃は小説を読むのも好きだったのだが、いつからかほとんど読まなくなってしまった。久しぶりに小説を読んでみて、良くも悪くもトシを感じた…かも知れない。

物語としてそれなりに面白く読めたのだが、「文学的」な観点?から、つまり人生とか仕事とか、あるいは人と人の関係とかについて、(おそらく)作者の言わんとしていることが、すーっとは入ってこない感じがした。

分からないわけではないが、感じ方が浅くなってきたのか、歳をとったせいで、「そんなこと分かっているよ」みたいなことを心のどこかで思っているのか、感受性が枯れてきたのか…。



ところで、映画はどんな作品になるのだろう?

ピアノ(の調律)に関するやや専門的な話も出てくるので、言葉だけでは分かりにくいところも映像化すると面白く描けそうな気もする。それは音楽についてもそうだと思う。

ただ、原作の雰囲気を損なわずに、しかも映画として面白いものにするというのは、素人考えではあるが、結構ハードルが高そうな気がする。

キャストなどは未発表なので、ピアニスト(吹き替え?)が誰なのかも気になるところではある。

ちなみに、旭川と関東近郊でエキストラを募集しているようなので、興味のある方はこちら(↓)…(^^)。

東宝映画『羊と鋼の森』エキストラ募集◆2月~3月@北海道旭川&関東近郊







「国際ピアノ・シリーズ」@サウスバンクのピアニストたち


サウスバンク(ロンドン)の「2017/2018年シリーズ」が発表されたというニュースがあった。

チェックしてみると、その中に「国際ピアノ・シリーズ」("International Piano Series 2017/18")というのを発見した。…ので、どんなピアニストが出るのか見てみた。

PianoSeries2017/18

概要ページによると主なピアニストは…。

●若手ヴィルトゥオーゾ
 Katia Buniatishvili、Alice Sara Ott、Benjamin Grosvenor
●北欧の音楽
 Vikingur Olaffson、Leif Ove Andsnes
●聴き逃せないヴィルトゥオーゾ
 Maurizio Pollini、Stephen Hough、Paul Lewis
●新しいパートナーシップ
 Mitsuko Uchida、Pierre-Laurent Aimard

…となっている。"International Piano Series 2017/18" 全体の予定は文末に添付した。(2016/17シリーズの1月31日以降も…)

2人ほど知らない名前が混じっているので軽く調べてみた。(名前から本人公式サイトへリンク)



Benjamin Grosvenor(ベンジャミン・グローヴナー)

1992年生まれのイギリスの天才ピアニスト」で、2012年にCD『グローヴナー・デビュー』でメジャー・デビューしている。

YouTube でちょっと聴いてみた(メンデルスゾーンの「前奏曲とフーガ」)感じでは、たしかに上手いのだけど、あまり伝わってくるものがない。まだ若いのでこれから…なのかな?

Benjamin Grosvenor - Prelude (Andante lento) from Prelude & Fugue in F minor, Op. 35 No. 5
'Fugue (Allegro con fuoco) from Prelude & Fugue in F minor, Op. 35 No. 5

今回のプログラムは、バッハのパルティータ6番、ショパンのエチュードとバラード4番、ブラームスのピアノソナタ3番。



Vikingur Olaffson(ヴィキングル・オラフソン)

うっすらと見覚えのある名前だと思ったら、ねもねも舎の11月の記事(↓)で見たのだった。

Víkingur Ólafsson ヴィキングル・オラフソンがドイツ・グラモフォンと契約

1984年、アイスランド生まれ。デビューアルバムがなんとフィリップ・グラスのピアノ曲集『Glass: Piano Works』。ちょっと期待できるかも…。

グラスのエチュードが2曲、YouTube にあったので聴いてみた。録音なのではっきりとは言えないが、割と好きな音色、弾き方だ。とくに No.13 の方は曲も含めていい。

Víkingur Ólafsson - Philip Glass: Étude No. 13
Víkingur Ólafsson - Philip Glass, Étude No. 5

今回のプログラムは、バッハのフランス組曲5番、ブラームスの「4つの小品」Op.119、アルバン・ベルクのピアノソナタ1番、ラヴェルの「夜のガスパール」など。



ちなみに、内田光子さんは、お得意のシューベルトのピアノソナタ6曲(19番、13番、18番、9番、16番、17番)を2夜に分けてやる。

エマールさんは、「悪魔的に難しい」とされる、リゲティのエチュード全18曲。こういうのは機会があればぜひ聴いてみたいものだ。



ところで、サウスバンク(South Bank)とはロンドンのテムズ川南岸地域のこと(↓)である。コンサート・ホール、劇場、美術館、レストラン多く集まる文化的なセンターになっている。

SouthBank.png

"Southbank Centre" ホームページに、展示会、フェスティバル、コンサートなど多くのイベント情報が載っている。



また、この「国際ピアノ・シリーズ」は大手音楽事務所のハリソン・パロット(HarrisonParrott)が運営しているようで、"Artists/Piano" のページを見ると、出演者の顔も散見される。

おまけ:このページには、2015年のチャイコフスキー・コンクールで3位になった、当時16歳だったダニール・ハリトーノフ君の少しお兄さんになった写真が載っている…(^^)♪



International Piano Series 2016/17

Mitsuko Uchida, piano
 31 Jan 2017
Maurizio Pollini
 21 Feb 2017
Boris Berezovsky
 28 Feb 2017
Maurizio Pollini
 14 Mar 2017
Yulianna Avdeeva
 29 Mar 2017
Yuja Wang
 11 Apr 2017
Alexander Gavrylyuk
 3 May 2017
Richard Goode
 31 May 2017

International Piano Series 2017/18

Bertrand Chamayou
 5 Oct 2017
Alice Sara Ott
 17 Oct 2017
Leif Ove Andsnes
 31 Oct 2017
Víkingur Ólafsson
 15 Nov 2017
Mitsuko Uchida
 28 Nov 2017
Mitsuko Uchida
 1 Dec 2017
Paul Lewis
 23 Jan 2018
Martin Helmchen
 7 Feb 2018
Boris Giltburg
 28 Feb 2018
Maurizio Pollini
 13 Mar 2018
George Li
 20 Mar 2018
Stephen Hough
 5 Apr 2018
Benjamin Grosvenor
 26 Apr 2018
Khatia Buniatishvili
 9 May 2018
Pierre Laurent Aimard
 12 May 2018
Paul Lewis
 5 Jun 2018









エマールさん、おめでとう!♪「音楽のノーベル賞」?受賞


去年 2016年のラフォルジュルネで素晴らしい「鳥のカタログ」を聴かせてくれたエマールさん(→《ラフォルジュルネ:エマールさんの「鳥のカタログ」♪》)の嬉しいニュースを見つけた。

ピエール=ローラン・エマール、「エルンスト・フォン・シーメンス音楽賞」("Ernst von Siemens Music Prize")受賞というニュース(↓)だ。

French pianist wins 250,000 Euros


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といっても、「エルンスト・フォン・シーメンス音楽賞」というのは初めて聞く名前…。なのだが、賞金25万ユーロ(約3,000万円)というのはタダモノではない…(^^;)。



Wikipedia(Ernst von Siemens Music Prize)によると、

ドイツの大企業シーメンスの会長だったエルンスト・フォン・シーメンス氏(1903-1990)が、1972年に設立した賞で、「音楽界に著名な貢献をした作曲家、演奏家、または音楽学者」に与えられるもの、とある。「音楽のノーベル賞」と呼ばれることもあるらしい。

歴代受賞者(文末にリストを添付)を見ると、確かに錚々たる名前が並んでいる。

1974年のベンジャミン・ブリテンから始まって、メシアン、ロストロポーヴィチ、カラヤン、ルドルフ・ゼルキン、ピエール・ブーレーズ、…と現代音楽史の目次を見ているような気もしてくる。

ピアニストで言うと、1978年のルドルフ・ゼルキン、1996年のマウリツィオ・ポリーニ、2004年のアルフレッド・ブレンデル、2006年のダニエル・バレンボイム、2015年のクリストフ・エッシェンバッハなど。最後の二人は指揮者としての功績の方が大きいのだろうが…。

印象としては、どうしても作曲家や指揮者が多いようだ。それにしても、現代に近づくほど知らない名前が増える。勉強しなくっちゃ…。



エルンスト・フォン・シーメンス氏が、この賞を設立したのは、音楽や芸術の愛好家であったことに加えて、当時ドイツ・グラモフォンがシーメンス配下にあったことも影響しているようだ。

エルンスト氏は、フルトヴェングラー、カラヤン、ユーディ・メニューインなどとも親しかったと下記の記事に書いてある。(カラヤンと写っている下記写真もここから借用)

Ernst von Siemens. A biographical portrait


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なお、「エルンスト・フォン・シーメンス音楽財団」の公式サイトのトップページが(今は?)エマールさんになっている。

その "Recordings" のページに、これまでに録音したCDの写真が並んだ「ディスコグラフィー」が載っている。



【参考】
2006年にバレンボイムが受賞した時の記事:
Barenboim Wins Siemens Music Prize



エルンスト・フォン・シーメンス音楽賞」歴代受賞者

(私の知っている名前にはカタカナ表記をつけ、このブログで取り上げた人にはリンクを貼ってある)

1974 – Benjamin Britten:ブリテン
1975 – Olivier Messiaen:メシアン
1976 – Mstislav Rostropovich:ロストロポーヴィチ
1977 – Herbert von Karajan:カラヤン
1978 – Rudolf Serkin:ルドルフ・ゼルキン
1979 – Pierre Boulez:ピエール・ブーレーズ
1980 – Dietrich Fischer-Dieskau:フィッシャーディスカウ
1981 – Elliott Carter:カーター
1982 – Gidon Kremer:ギドン・クレーメル
1983 – Witold Lutosławski:ヴィトルト・ルトスワフスキ
1984 – Yehudi Menuhin:ユーディ・メニューイン
1985 – Andrés Segovia:セゴヴィア
1986 – Karlheinz Stockhausen:シュトックハウゼン
1987 – Leonard Bernstein:バーンスタイン
1988 – Peter Schreier:ペーター・シュライヤー
1989 – Luciano Berio:ベリオ
1990 – Hans Werner Henze
1991 – Heinz Holliger:ハインツ・ホリガー
1992 – H. C. Robbins Landon
1993 – György Ligeti:リゲティ
1994 – Claudio Abbado:クラウディオ・アバド
1995 – Sir Harrison Birtwistle
1996 – Maurizio Pollini:ポリーニ
1997 – Helmut Lachenmann
1998 – György Kurtág:クルターグ・ジェルジュ
1999 – Arditti Quartet
2000 – Mauricio Kagel
2001 – Reinhold Brinkmann
2002 – Nikolaus Harnoncourt:アーノンクール
2003 – Wolfgang Rihm
2004 – Alfred Brendel:ブレンデル
2005 – Henri Dutilleux:アンリ・デュティユー
2006 – Daniel Barenboim:ダニエル・バレンボイム
2007 – Brian Ferneyhough
2008 – Anne-Sophie Mutter:アンネ=ゾフィー・ムター
2009 – Klaus Huber
2010 – Michael Gielen
2011 – Aribert Reimann
2012 – Friedrich Cerha
2013 – Mariss Jansons
2014 – Peter Gülke
2015 – Christoph Eschenbach:クリストフ・エッシェンバッハ
2016 – Per Nørgård









アルゲリッチの本、一気読み! ♪


マルタ・アルゲリッチの伝記(2009年まで)『マルタアルゲリッチ 子供と魔法』という本を読んだ。

面白くて、こんなにオープンに書いていいのだろうかということが次から次へと明かされて…、久しぶりに一気に(といっても3日くらいで)読んでしまった。



(音楽之友社、2011年、オリヴィエ・ベラミー著、藤本優子訳)


こういう本は、サマリー的な紹介は書けないし、感想を書くにもいろんなことがありすぎてまとまらない。

本人の生い立ちや生き様から家族模様、ピアニストとしての興味の尽きないエピソードの数々、なぜあのように弾けるのかという謎を解き明かすヒントになりそうなこと、登場する「キラ星」のような多くの音楽家たち、彼らとの関わり方、などなど…。

盛りだくさん過ぎるので、「伝記」の本筋とはちょっと外れるかも知れないが、面白いと思ったことをいくつか書いてみたい。


スカラムッツァ先生


アルゲリッチが5歳半〜11歳の間ついていた先生がヴィンチェンツォ・スカラムッツァという人。その人の考え方がとても共感できる。

「スカラムッツァが純粋にテクニックのためだけの練習曲を与えることは決してなかった。音階、アルペッジョ、その他の指回りのことは古典作品によって身につけることができる、そう判断していた。モーツァルトのソナタやショパンの練習曲で、そういった技巧的に華やかな部分だけを曲の内容から切り離して見ることはできない。それどころか、エクササイズによって技巧が味気なくなり、指さばきの鍛錬で、身につくはずの音楽性が損なわれてしまう。…」

「一つの音の成立には三つの段階がある…。まず筋肉を弛める。その状態から瞬間的に指先の肉を通じて重さが伝わる。次に跳ね返り(バウンド)。屈筋の収縮を受けながら弾んでくる。最後が動きの中断による休み。」


これは、なんとなくアルゲリッチの弾き方を彷彿とさせる。著者も次のように書いている。

「鍵盤上を疾走するマルタ・アルゲリッチの手は、緊張とリラックス、正確さと移動スピード、その同時性のみごとな実例であり、ピアノ演奏のテクニックの試金石だ。」


憧れのホロヴィッツとの共通点


「ホロヴィッツならではの柔軟な指さばき、…特にきわだった電気的な要素、桁外れにパワフルなオクターブ、フレーズのイマジネーション、この世のものとも思われないピアニッシモ、内声部に息づく密やかな生命力、無限のニュアンスを生みだす能力。いずれも彼女(アルゲリッチ)自身の演奏を形容する言葉である。」

「ホロヴィッツはシューマン作品の天才的な奏者であり、その点でもアルゲリッチの"分身"だ。そしてホロヴィッツのスカルラッティとアルゲリッチのバッハが、録音された音楽の頂点をきわめるものだという意味で、両者ともたぐいまれな"古典派"でもある。」



本に登場する印象的な言葉


身体の内なるものを治すのが医師だとすれば、魂の痛みをやわらげ、慰めを与えるのが芸術家である。

アルゲリッチは医者になりたいと思っていた時期があるそうだ。プルーストの質問表の「持ちたい才能は何か」という問いに対して「治癒の力」と答えている。

伝記の中に、弱者や困っている人を見たら支援の手を差し伸べずにはいられないアルゲリッチが何度も出てくるが、その姿と「魂の痛みをやわらげ、慰めを与える芸術家」とがオーバラップして感じられる。


マルタはショパンの練習曲を完璧に弾きながら、同時にオスカー・ワイルドやアレクサンドル・デュマの本を読んでいた…。(弟カシケの証言)

さすが!すごい!ハノンとかじゃなく「ショパンの練習曲」!


(私は)人のために演奏しているのではない。自分のため、作曲家への奉仕として弾いているのだ。聴衆がいようがいまいが大したことではない。ピアノに向かうとき、頭にあるのは精神の産物としてそこから生まれてくる響きのことだけだ。(ミケランジェリの言葉)

芸術家の中には、こういう極端な考え方の人もいていいと思う。最近の「アーティスト」の中にはこの真逆の人が多過ぎるような気もする。


偉大な芸術とは時を超越したものであり、偉大な様式はつねに隠れたところにある。つまり、これ見よがしの様式は誤りなのだ。昔の人はあまりにわかりやすいものを好まなかった。様式と言われるものは、たいていはその時点の流行でしかない。(フー・ツォンの言葉)

ちょっと難しい。「様式」とはバロックとか古典派とかロマン派とかじゃないのかな?


1957年のジュネーヴ・コンクール


16歳のアルゲリッチと15歳のポリーニが参加したときのジュネーヴ・コンクールの審査方法が面白い。

「音楽以外の要素による影響を避けるため、出場者たちは姿が見えないように幕を張った向こう側で演奏させられた…」

しかも男子と女子とは別部門として審査する。

結果、アルゲリッチは女子部門の1位、ポリーニは男子部門の2位となっているが、二人の間の順位(優劣)は分からないということだ。

ちなみに、現代のコンクールでも「幕の向こう側」方式を採り入れたらどうだろうと思った。そうすれば、オーバーアクションの印象とか見かけの良し悪しとかが排除される。ついでに名前も伏せて行えば、妙な「政治」もやりづらくなると思うのだが…(^^;)。


聴きたいと思った録音


●チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番

1970年にシャルル・デュトワが無理に説得して弾かせたもの。ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団。
 
「…あれほどの狂気、あれほど楽器の限界を超えた演奏で聴かせた者はいない。あれはヴィルトゥオーソを凌駕した何かだ」と評された。


●スティーヴン・コヴァセヴィチと共演した唯一のレコード

1977年。曲目は、ドビュッシー《白と黒で》、バルトーク《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》、モーツァルト《アンダンテと変奏曲》。

これを機に、アルゲリッチはこのジャンルに惹かれるようになった。また、「自分が支援している若いピアニストたちとの演奏機会」を積極的に作るようになった。


●1983年:最後のソロアルバム

シューマンの《クライスレリアーナ》と《子供の情景》。

「彼女は41歳で、リサイタルでの緊張を強いられるのはもう勘弁してほしいと思っていた。『ピアノを弾く機械にはなりたくないのです』と、1986年にアルゼンチンのラ・ナシオン紙で宣言した。『ソリストは一人で生き、一人で弾き、一人で食事し、一人で眠ります。わたしはそんなのは願い下げです。』」


●アレクサンドル・ラビノヴィチとの共演

2台ピアノと4手の演奏が、テルデックから数枚出ていて、いずれも傑作。ラフマニノフ、モーツァルト、ラヴェルなど。

ラビノヴィチとは1987年に知り合って10年ほど付き合っている。ラビノヴィチは、作曲家でもあり、その作品の一つ《時間(ディ・ツァイト)》で、2000年にチェレスタ・パートをマルタが弾いている。


おまけ:『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』


この本を読んだあと、2014年にラフォルジュルネで観た『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』(原題:"Bloody Daughter")という映画を思い出した。

参考:《秀逸!人間アルゲリッチを描き出したドキュメンタリー映画》

この映画でも一人の人間(母、祖母)としてのアルゲリッチが、実に魅力的に記録されていたのだが、今回読んだ本では、さらに、娘、友人、恋人、妻、生徒などとしてのアルゲリッチがとても豊かに描かれている。


カミさんから YouTube にアップされている(↓)のを教わったので、もう一度観てみようと思っている。ただし、日本語字幕なし…。

Bloody Daughter – Stéphanie Argerich


参考:DVD(たぶん日本語字幕付き)

『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』








シューベルトのソナタ14番:練習の登り坂?


シューベルトのピアノソナタ第14番第1楽章、今の練習状況を絵で表すとこんな感じ(↓)?「シーシュポスの神話」の神様の罰ゲーム?

付点音符、オクターブ、トレモロ、この三重苦が重くて、練習して一歩進んだかな?…と思った次の日にはまた元の位置…(^^;)。


D784Sisyphus.png


この曲に取りかかった当初は「意外となんとかなりそう… ♪」と思っていた(↓)のだが、あの感覚は何だったのか?

《シューベルト:ピアノソナタ14番:出だし順調 ♪》

あと少しで1カ月になる。ちょっと焦ってきた…かも。この辺りで、気合を入れ直さないとタイヘンだ。



ということで、前回作った曲全体の構成図をもとに作戦を練り直した。といっても、とりあえず1月末の目標設定。


D784Plan.png


基本的には、提示部はほぼ暗譜できているので、提示部全体を通して弾けるようにすることを目指す。難所1の両手4重音での付点部分は、少し遅めでもいいので弾けるようにしたい。推移部のオクターブのトレモロはもう少し練習が必要。

展開部は、楽譜を見ないでも練習できる程度には暗譜をして、部分練習を継続したい。前半のオクターブの付点での下降音形(スケール)がダイナミックに繰り返されるところ(難所4)は、最後まで残りそうな予感。

少し前から再現部に取りかかっている。第1主題は何とかなりそう。第1主題確保部分の「両手付点」が難所1と同じパターンだが音が違うので「難所6」として追加。第2主題は比較的弾きやすいので暗譜したい。

コーダは、1月末の目標が達成できたら2月から…という感じ。



このところ、少し勉強して、自分なりに弾き方のイメージはできてきたのだが…。

《シューベルトのソナタ14番は暗くない!:管弦楽的な魅力 ♪》
《シューベルトのピアノソナタを理解する:吉田秀和さんの言葉》


やはり課題は「付点音符」だ!

「3:1」のリズムを刻もうとすると遅くなってしまう。速いテンポをキープしようとすると「なま(鈍)って」しまう、つまり3連符とは言わないまでも「2.5:1」くらいになってしまう…(^^;)。

futen.png futen.png futen.png futen.png futen.png ……



まぁ、練習あるのみ!なのだろうが、少しずつでも前に進まないとつらい…。

そういえば、シーシュポスはいちおう坂の上まで岩を押し上げたはずだ。そのあと、岩は坂道を転げ落ちるのだが…。

私のシューベルトも、何とか、とりあえず一度はゴールインしたいものだ…(^^) ♪